人を不幸にする宗教とは
Posted on 1月 20th, 2012
「宗教は人を幸せにするのか?」
という問いにはそれはもう「幸せにする事はあるでしょう」ってのが答えだけど
「宗教は全ての人を幸せにするのか?」
と言われると「?」となっちゃうよね。
さらに
「○○教は全ての人を幸せにするのか?」
にすると、いやそれはないでしょうとあっちこっちから異議が上がるのは間違いない
お互いの教義が相反する事もままあるからだ。
これは岸田秀の受け売りみたいなものだが
人間の思想信条ってのが厄介なのは「第三者の承認」を必要とすること
僕らって関係性のなかで存在を許されてる様なものだから
一人で信じてたってあまり意味がなくて、みんなで信じてこそ意味が有る。
これ幽霊みたいに、居ても居なくてもあんまり世の中に影響の無いのはいいとしても
神様みたいに強大な影響力のあるものは、周りの人たちも信じてくれないと成立しにくいのだ
だから必然的に「神を信じなさい」ってなっちゃう、どんどん仲間を増やしていくうちに
争いが避けられない規模まで膨らんじゃう、と。
ただ僕が宗教に否定的かというとそういう訳でもない
特定の宗教を信仰してたりはしないのだけれど、なにがしかの信心が
自分にもあると感じているからだ。
変な話ハイビジョン多チャンネルステレオのこの時代に
僕がノスタルジックな8ビットグラフィックやサウンドに傾倒するのって
もはや宗教領域に有ると言ってもいいくらいだから。
そんな訳で、必要なのは適当な距離感なのかなと
この世には人には決して辿り着けない真理と言う物が有って
辿り着けない僕らは、仕方なく色んな方向から光をあてて
その光で出来た陰に触れるしかない、と
そして色んな思想信条はその影の一つなんだと
「みんな」が思えればそれなりに平和なのかなぁって
まぁなかなか「みんな」は思ってくれないんだけど(^^;
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